あけましておめでとうございます。
ブログを始めて初めての年越し。
元日の投稿を忘れていました。
こんな私ですが、本年も何卒、よろしくお願い致します。

 

 

今年も実家で迎えた年末年始。

私は24年間毎年家族と年越しをしています。
お仕事で実家に帰れないほど忙しくなる、のが理想ではありますが、そうなるまではできるだけ家族との時間を大切にしたいなぁと思っています。

ただここ2年ほど、弟はお友達と神社で年越しをするようになってしまい、
夜彼が出かけるときに「良いお年を!」と送り出すのが少しさみしいです。

 

そんな弟も1月1日は家にいてくれるので、元日は家族全員ですき焼きを食べました。

 

 

人とご飯を食べるのが好きです。

ただ誰かと食べるご飯は、その時間が続いて欲しくてどうしても食べ過ぎてしまうのが問題です。

それと1人ならなんだっていいやと思うのですが、誰かとだと考え過ぎてしまってメニューが決められないし、なんとか決めたメニューやお店が失敗だったとき、すごく申し訳なくなってしまうので、判断力と審美眼ならぬ審味眼を身に付けたいものです。

 

今日もこれから私が選んだお店で友人とご飯を食べるので、とても不安です。

 

 

時間も命もご飯の回数も、限られているから、どうしても失敗は許されないような気がしてしまいますが、失敗して知ることもたくさんあるし、尊敬するあの人も、みんなきっと失敗している。
悩んだりイヤになったり、苛々したり泣きたくなったり、そんなことを抱えながら生きている。

だからこそ素敵なのかもしれません。

 

年のはじめに何か言葉を、と思い、思いついたのが、
「みんな人間」。

 

老いも若いも職も生まれも、なにもかも様々だけど、みんな等しく人間で、いろんなことを考えながら行き交っているのです。

 

去年まではそれが怖かった。

みんな悩みながらも立派に生きているのに、どうして私だけこんなに上手く生きられないのだろうと思ってしまって、自分にだけ何か欠陥があるような気がしていました。

 

でもそんな「自分はダメなんじゃないか」という悩みも含めて、等しくみんなが抱えたり乗り越えたりしているのかもしれない、と思うようになりました。

 

考え方は違うし、悩みも悲しみも喜びもみんな様々だから、分かり合えないかもしれないし、わかるよなんて暴力だけど、みんな等しく人間だから、
わかりたいは温もりで、愛したいも愛されたいもすれ違う正義です。

 

 

大阪には今日も人間がたくさんいます。
そんな人間たちの一部であって、たったひとりの人間として呼吸しています。

 

 

平井早紀