こんにちは、平井早紀です。

 

人間の脳は不思議だなぁと思うことが多々あります。常に何かを処理し続けていて、それが言葉になったり映像になったり音になったり匂いになったり、感知できるものにはならなかったりしているんだと思います。

ぼーっと、なにも考えていなかったと思う時間にもきっと考えていて、でもそれは言葉や絵にはならないままで覚える事も忘れる事もなく、瞬間に生まれては消えているのかもしれません。

そんな思考や感情を、自分にわかるように言葉にして、さらに誰かに伝えられるような文章や映像などにして表現をしていくのだから、脳は働き者です。

 

私の脳よ、いつもありがとう。です。

 

 

そんな今日は3/9ということで、サンキューの日だそうです。

ありがとうという言葉は漢字で書くと「有難う」で、有るのが難しい、つまり簡単でないことをしてくださったのですねってことなのかなと私は思っています。

人も動物だから究極のところ自分が生きるために生きてしまうものだと思います。生存することは全てのベースであり全てが至る所でもあるのだと。

そんな中で自分の生命の維持とは無関係の別個体のことを愛したり、助けたいと思ったり、その人の幸福を願ったりすること自体が、当たり前のようですごいことなのかもしれません。

そう思うと、愛してくれること、助けてくれること、応援してくれること…そうしたいただくものだけじゃなく、
愛させてくれること、助けたいと思えたこと、目と目があって微笑んだ時間…私の生きている時間がそんなめったにない出来事で色づくことも、とても有り難いことなのではないでしょうか。

 

ひとりきりの家から一歩外に出れば、ぞっとするくらいにたくさんの人がいて、私は残念ながらその全ての人を愛することはできないのだと思います。
(過去には全ての他者を愛さなければいけないと思っていましたが、未熟な私にとってのそれは全ての他者を「私が愛せる何者か」にするだけで、だれも愛さないことと同義でした。もちろん出会う人すべてをその人としてちゃんと愛すことは不可能ではないと思いますが、今の私では弱すぎて私自身が揺らいで折れてしまうと思います。)

でも愛せなかったあの人との出会いも、一度きりの「有り難いこと」であることに違いはないのです。
今この瞬間のあの人に出会うことはもう二度とできませんから。

だからそっと「ありがとう」と言うことにしませんか。

不思議なことに、「ありがとう」という言葉は心を柔らかくする力があります。

あなたは今日どんな有難うに出会いましたか?

 

平井早紀